マイナスの感情、抑えきれない不安感や恐怖にとらわれている時、そのような
苦しい状況にある時には、
このように考えれば苦しみを払拭できる、
このように行動すれば、このように祈りを捧げればうまくいく、
自分の世界はこうなのだ、
そんな悟りや答えを求めがちです。
自分の心が押しつぶされるように感じるのですから仕方ないことと思います。
しかし、自分さえ正しく見ることのできない苦しい状態では、そのような悟りは
正しいはずが無く、例えうまくいったとしてもその時だけです。
さらに、そのような苦しみの中で自分に判断をせまったり、重荷を課すのは
自分がかわいそうです。
苦しいときには苦しいままに過ごす、苦しみになる、なりきる、
苦しいままに音楽や美しいもので自分を癒し自分を見つめる、
苦しくて泣き、身近な人に抱きしめてもらう、
それでいいんだって思います。
苦しみから逃げる必要は無いけれど、自分を癒してあげるのは問題ないと
思います。
身近な人に甘えたからといって一生依存的になることはありません。
ただ感謝するだけです。それは単なる人生の一コマです。
僕は心理学者でもカウンセラーでも覚者でもありませんが、
苦しみの沼にはまっているときに、身近な人、好きな人とのつながりを感じる
ことで、「私(僕)はだいじょうぶ」って感じることは大事なことのように思います。
心理学の森田療法の創始者、森田先生は大久保彦左衛門の言を引用し
「迷いの中の是非は是非とも非なり」と仰っています。
迷い、苦しみにとらわれている時に、これが正しい、これが誤りと判断しても、
すべて空想的で真実ではないということです。
自分にとっての真実はやはり苦しみのさなかには見えてきません。
「迷いの中の悟りはまた迷いなり」、ということだと思います。
苦しみから目をそむけて悟った気になっても仕方ありません。
苦しみながら、迷ったままで自分に素直に無理ない範囲で行動していく、
じっくりと自分の内と外を整えていく、それがそこから抜け出す方法でしょうか。
「心に悩みも苦しみも一切無く、雲一片も無く晴れ渡っている」
そのような状態ではなくとも、思考と感性、感情と理性がある程度のバランスが
取れているときに、静かに自分と向き合い、一歩を進めていけばいいのだと
思います。
<屋久杉の切り株(木霊の森)>

↓愛のクリックをお願いします〜☆

↓よろしければこちらもお願いします。

ネットショップ「CRYSTAL HARMONY」はストラップとブレスなど新作準備のため
メンテナンス中。 次の週末(3連休)に新作公開、開店予定です。たぶん(笑)