なにか満たされない想い、自分の行動・思慮が足りていないような感覚、
その原因が具体的で明確でないのに、不全感(不足感、未消化感)が
無意識に湧き上がってくることがあります。
そのような不全感にフォーカスしてしまうのはどうしてでしょう。
漠然とした想い、見えない想いを満たそうと焦るのはどうしてでしょう。
過去の失敗を繰り返したくないから
今やれることをしないで後悔したくないから
将来に楽をしたいから
誰からも責められたくないから
あの人をなんとかしたいから
人から見た「自分のイメージ(完璧な自分)」を保ちたいから
過去に体験した不安を感じたくないから
すべてが観念やイメージだけの世界です。
そのような想いを満たすために思考し動き回り、本当の自分を表現でき
ないままにこの世を去ることは嫌ですよね。
今、外に出ると冬の澄んだ空気が張り詰め、木々は静かに休んでいる
ことが感じられる、それもまた自分にとっての本当の現実です。
でも当人にとっての不全感、苦しさも事実なんですよね。
僕も以前は、満たされない想いを埋めようと一生懸命に動き回って、
それもまた、今の自分のあるがままだ、と疲れ顔で納得してきました。
人それぞれにいろんな道があり、本当の自分にたどりつくためのいくつ
かの段階、ステップもあると思います。
とらわれの本質を見つめ理解しない限り、不全感から真に解放される
ことはないようです。
一時の快楽や逃避によってごまかすことはできますが、それを強制的に
続けることは思考・観念の世界に埋没することなのでとても危険です。
人として生きるためには、思考と思考を越えた意識とのバランスが
必要なように思います。そのための1つが瞑想なのでしょうか。
話がいろいろと飛んでいますが、
たとえ一足飛びに自分を全的に見守ることができなくても、
静かに自分に対して思考すればいいと思います。
物足りなさを埋めるために動き回ることを少し止めて。
(屋久島の大きな杉に宿った小さな木)

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